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  さよなら「エマニエル夫人」のシルビア・クリステル

                                          2012年11月04日  01:35

  

   

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 ぼくが15歳の時に、フランス映画「エマニエル夫人」がやってきた。
 1974年の12月21日のことだ。
 女性もポルノ映画を見る時代が来たとかなんとかで世間は大騒ぎになった。    

 その映画の曲も、ストーリーに合った独特な雰囲気を持ち、シルビア・クリステル
 と共にみんなの記憶に残るものとなった。

 そんな「エマニエル夫人」のシルビア・クリステルが今年6月、ガンの治療中に
 脳卒中を起こし、意識不明のまま搬送され、帰らぬ人となった。
 享年60歳だった。
 
エマニエル夫人のシルビア・クリステル

 
● エロよりエキゾチシズ
 ぼくが、「エマニエル夫人」に出会った10代の頃は、ネットもAVもなかった時代
 なので、裸自体が貴重なものだった。
 だから、映画のシルビア・クリステルを見て感じる「綺麗なヌード」も「煽情的
 (猥褻)なヌード」も、その頃のぼくにしてみればあまり意味の無い事だった。
 『綺麗なスタイルのいい女優が裸になった』という事以上の価値を、シルビア・
 クリステルから感じることはなかった。

 そして、今週号の週刊新潮11月1日号に、「エマニエル夫人」に出演したとき
 のシルビア・クリステルがグラビアとして掲載された。(上の画像参照)
 まあ、言うまでもないが、改めて本当に綺麗なヌードだ。
 今になって、その美しさに気づかされる。

 映画評論家の北川れい子さんが「エマニエル夫人」に関して言う。

 「ファッショナブルに撮られているので、猥褻感より美しさが感じられたのでしょ
 う。これ以前もセックスを描いた作品はたくさんありましたが、セックスを描いて
 いやらしくないのは、この映画が初めてだったのでは。

 舞台設定も非日常感が強く、エロよりエキゾチシズムに浸れて、普通の女の子
 が観ても恥ずかしくないという話が広がり、大ヒットしたのです」

 
● 出演料、180万円から3000万円に
 週刊新潮では、シルビア・クリステルが、「エマニエル夫人」を演ずるに至った
 きっかけも記事にしているが、これがまた驚きの事実。
 放送プロデューサーのデープ・スペクターによれば、

 「シルビアは洗剤のCMのオーディションを受けるつもりが間違って、「エマニエル
 夫人」のオーデションが行われていた隣室に入ってしまった。
 でも、モデルをしていたこともあり、監督から促されるままに自然体でパッと服を
 脱ぎ、その姿でタバコを吸った。監督はじめひと目でシルビアを気に入り、主演
 女優への起用を決めたといいまます」

 この偶然の巡り合せが、幸運だったのかどうか・・・・・・
 晩年のさみしいシルビア・クリステルの暮らしぶりを考えると、そんな疑問を抱い
 てしまう。

 出演料は6000ドル(当時のレートで180万円程度)だったが、世界的なヒットを
 受け、「続エマニエル夫人」の出演料は、10万ドル(同3000万円)に跳ね上っ
 たという。

 その大ヒットしたというわりには、映画の内容は大したことはなかった。

 秋の日のある朝。
 平穏すぎる日常に何処か退屈さを感じていた外交官夫人・エマニエルは夫の
 赴任先であるタイにやってきた。ある日、エマニエルは知人の紹介で「性の儀式」
 を受け入れることになった。彼女は自由なセックスに目覚め、快楽のために異性
 のみならず同性にまで関係を持つようになる。
 という話。

 ぼくが、「エマニエル夫人」をみたときに印象が深かった場面。
 性の哲学をのたまう男・マリオにエマニエル夫人が出会う。その男はやたらとセッ
 クスに意味付けをしていく。エマニエルはその男の理屈に従って、どんどん開放的
 になっていく。
 
 でも、『それはおかしいだろ!』と、感じた。とにかくマリオもエマニエルも理屈っぽ
 さに酔って行動しているのだ。そのわりには、やることは、単に好きもの同志の
 戯れだという……。

 まあ、その映画を見たときが10代なので、今見ると違う感想もわいてくるのだろう 
 けど。

 ところで、週刊新潮に出ていたシルビア・クリステルの生い立ちを読んだ。
 これが実に読み応えがあった。
 以後、主な部分を抜粋していきます。

 
● 10歳前後でホテルの客から性的虐待
 「エマニエル夫人」、「続エマニエル夫人」のヒットにより、一気に名も富も手に
 入れたシルビアを、次第に運命の摩の手が翻弄する。

 「彼女が06年に書いた自伝を読むと、その人生の波瀾万丈ぶりがわかります」
 作家の井上篤夫氏はそう言って続ける。

 「オランダのユトレヒトで小さなホテルを経営する父親と、元ダンサーの母親の下
 に生まれ、離乳食にはコニャックを与えられ、数字は父親がビールを40本、50本
 と飲むのを数えて覚えたとか。
 その上、母親は父親に触られるのを強く拒んで、酔うとシルビアの前で”セックス
 なんて嫌だ!”と叫んでいたそうです」

 北米在住ライターの関陽子さんが補って言うには、
 「家族はホテルに住み、シルビアと妹は21号室を与えられていましたが、ホテル
 が満室になると、熟睡していても狭い部屋に移動させられていたそうです。
 10歳前後でホテルの客から性的な虐待を受けても、両親は見て見ぬふり。また
 父親は、お客さんを楽しませるため、9歳のシルビアにバーやレストランの間を、
 片足を高く上げたまま自転車で走り回らせたとか。
 行間から察するに、下着をはかずにそのショーをやらされていたようです」

 シルビアは11歳でヘビースモーカーになり、そのころ寄宿学校に移った。14歳
 のときには、シルビアの「仲良くしてほしい」という願いも虚しく、両親が離婚。

 だが、頭はよかったという。IQが164もあり、小学校では4学年を飛び級という
 経験もしている。言葉は、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語とイタリア語も
 話せるという、マルチリンガルな才能を持つ。大学中退後、20歳でミスコンテスト
 「Miss TV Europe」に出て優勝している。

 ところで、彼女に「エマニエル夫人」への出演を勧めたのは、交際していたユーゴ・
 クラウスという作家で、関陽子さんによれば、
 
 「”どうせ検閲を受け、オランダでは絶対公開されないから、お母さんに恥ずかし
 い思いをさせることはない”等、迷っていた彼女を説得したとか。彼女には、そう
 やって人を信じてしまう部分があるようです」
 ユーゴ・クラウスとの間には75年、長男アーサーが生まれている。
 この頃までがシルビアの人生のピークだったようで、井上氏が言う。

 
● 9年間にわたる地獄
 「77年頃、女優として一段上に上がるため、ハリウッドへ行って転落が始まりま
 す。『エマニエル夫人』のころは大麻ぐらいでしたが、ハリウッドではコカインなど
 のハードドラッグにも手を出した。
 また俳優イアン・マクシェーンと同棲しながら、ほかの”ジゴロ”とセックスフレンド
 になり、身を持ち崩します。
 田舎者でハリウッドの怖さを知らず、悪の道にのめり込むのも早かったのでしょう」

 ところで、シルビアは生涯に50作以上の映画に出演し、ハリウッドでも「エアポー
 ト80’」や「プライベート・レッスン」などを制作したが、3作の「エマニエル夫人」
 を超える話題はついぞ得られなかった。

 だが、70年代はまだよかった。井上氏が続ける。
 「81年ごろ、アラン・ターナーという不動産屋のボンボンと結婚。幼児の経験か
 ら家庭に憧れていた彼女は、かなり嬉しかったようですが、結婚生活はわずか
 5ヵ月で破綻。続いて映画プロデュサー兼監督のフィリップ・プロットと入籍し、
 彼女いわく”9年間にわたる地獄”を味わいます」

 「サントロぺの豪邸で秘書、シェフ、トレーナーを雇って暮らしていると、やがて
 書留郵便が届き、督促状がドアに挟まり、ついには立ち退きを命じられ、ドレス
 も宝石も世界中から集めた美術品も、何もかも置いてロスへ、続いてマドリッド
 に逃げる羽目になりました。

 夫のプロットは知人から集めた映画製作費を、映画は作らずに使ってしまい、
 連帯保証人となっていたシルビアの全財産も差し押さえられたのです。当時、
 彼女はアルコールとドラッグに依存し、正常な判断ができなかったとか。
 以後は仕事をしても取り立てられるからと、人前にでるのを避けるようになった
 そうです」(関陽子氏)

 その後、ベルギー人のラジオプロデューサーと、彼が死ぬまでブリュッセルで暮ら
 し、アムステルダムに戻ってガンを患った。ただし、郷里のユトレヒトには帰らな
 かった。オランダの新聞社の記者が言う。

 「シルビアはオランダでも有名人ですが、とりわけユトレヒトの人に聞くと”ああ、
 あのエロ女優でしょ”と冷たい。
 彼女はずっとそういう負の烙印を背負って生きてきて、だから”私は色情狂じゃ
 ない”と、世間が持つイメージを否定しようとしたし、絵を描くなどして人生を肯定
 的に捉えようとしたのでしょう」

 しかし、負の烙印が重すぎたからなのか、「発病してからも、ウォッカを1日1瓶
 くらい飲んで、酔っ払ってしまっていた」と、シルビアと親しかったオランダ人記者。
 
 だが、晩年にも出会いがあった。
 「私が取材した際も、”健康食に興味がある”と言っていましたが、その際、ベー
 ター・ブルールという、農業系の研究所で有機農法やスローフードの講師をして
 いる男性が、最後のパートナーになりました」 

 かれとの関係は穏やかだったと伝わる。
 
   シルビア・クリステル

 シルビア・クリステルは生前、世界各国で「エマニエル夫人」が公開されたことが、
 検閲制度が世界的に見直されたきっかけとなったと誇りに感じていたという。
 奔放なセックスシーンが大幅にカットされる国もあったが「多くの国では、うまく
 いった。(制度の見直しに)貢献できたと思うわ」
 と語っている。

 しかし、自身の仕事が原因で息子のアーサーさんが学校でいじめにあうように
 なったことから、80年代後半からヌードになる仕事を断るようになった。
 
 綺麗なヌードで一世を風靡した彼女が、ヌードになる仕事を断るようになったら、
 それは「エマニエル夫人」を超える話題が得られなかったわけである。
 ところで、検閲制度の見直しのきっかけに「エマニエル夫人」がなったというの
 は、初耳だった。どのような見直しになったのであろうか?
 一つの映画が与える影響というのは、興味があることなので今度、機会があっ
 たら調べてみたいものだ。

 
● 息子アーサーへの献辞
 シルビア・クリステルは最近数年間一人で過ごし、アムステルダムにある小さな
 アパートでひっそりと暮らしていたという。かつて所有してた仏サントロぺの豪邸
 のキッチンほどの広さのアパートだとのこと。
 
 すべては過去のものとなり、前述したように、財産も夫が使い果たしさらに巨額
 の借金を背負うこととなった。その返済に長い年月がかかった。
 唯一の楽しみは息子で、頻繁に会っていたという。

 2006年にフランスで出版された自叙伝「Nue」(英語のNude」) によると、自伝を
 書いた際にも、その息子への献辞を載せていた。
 自伝に”アーサーは馬鹿で才能もないけれどかわいい”と書いてあった。

 2012年6月に咽頭癌の手術を受け、その後に脳卒中で倒れてアムステルダム
 の病院に入院していた。同年10月17日、入院先の病院で死去。60歳没であっ
 た。 葬儀は近親者だけでひっそりとおこなわれるという。

             

 参照:
週刊新潮|新潮社 11月1日号
    
 「エマニエル夫人」死去


   


    





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